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ロード トゥ ファイユーム

 青年海外協力隊エジプト派遣予定。  訓練から任国派遣までの日々をつづります。

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帰ってきました

70日間の訓練を終え、本日実家にに帰宅しました。

 修了式では、国会議員の来賓が多く、祝辞を7件も頂きました。

 また、講師代表のあいさつを通訳するという貴重な経験もさせて頂きました。出だしから間違えてしまいましたが・・・。

 その後の立食パーティーは、満足いくまで食べることができました。

 あっという間の70日間でしたが、出発までは2週間しかありません。手続きをテキパキこなし、アラビア語の学習時間を確保したいです!


 またLegend of Yanagiに戻ります。Legend of Yanagi
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明日、退所

 長いと思っていた訓練生活も、今日で終わりです。

 70日間、時間はたっぷりあると思っていましたが、終わってみれば短く、語学に関しては不安が残る状態です。でも、後は自分次第と考え、出発まで少しでも話せるように頑張ります。

 また、語学以外の面でも非常に貴重な経験をたくさん積むことができました。訓練所の設定したプログラはもちろん、それ以外でも幾つかの出来事がありました。任国の変更、仲間の退所…。協力隊の経験談をお聞きしたときに、皆が皆良い思いをしている訳ではないということもお聞きしましたが、それを実感する出来事でした。

 まとめようと思うと、あまりにも濃い訓練生活だったことが改めて分かります。

接見

 訓練所からバスに揺られて約5時間。東京へ行きました。本日は、皇太子殿下との接見です。

 普通に生活していたらこんな機会まず無いでしょう。訓練所での説明がありましたが、当日も担当の方から振る舞いの説明と練習を受けました。

 そして、時間通りに殿下がお見えになりました。全員に向けてのお言葉を頂いた後にグループ毎の歓談です。私は3番目のグループでしたが、直接お話はできませんでした。残念。

 余り詳しく書いてはいけないのでこの辺で終わります。

 帰りは予定より大分早く帰って来ました。

 凄く貴重な経験をさせてもらえました。そして、久し振りに都会を肌で感じました。

9月1日防災の日(震災関連の写真を含みます)2

この辺りは、去年の8月まで手付かずでした。今でも家や瓦礫がそのままになっています。


 道路は、辛うじで通れるといった感じで、両側がボロボロに崩れています。


 今回視察に行かせ頂いて、津波の恐ろしさがより分かりました。

 自分が見た海は遠くにありました。海まで4キロ、2キロ、そういったところでも、津波が襲ってきたことを思うと、心臓がドキドキしました。

 自分はあの日、校庭に子どもと避難したことも思い出しました。

 当事者でないと分からないこともあるし、部外者があれこれ考えるのは失礼かもしれませんが、自分の見たこと、感じたことを、身近な人に伝えていければと思いました。

9月1日 防災の日(震災関連の写真を含みます)

被災地の視察ということで、南相馬市へ行きました。途中、飯館村も通りました。

 真っ青な空が広がる中、バスに乗って出発。良い天気なのに、人っ子一人いません。不自然な光景ですよね。
 

 海水の塩分にやられたところは、枯れています。

 家の基礎でしょうか?詳細は不明です。そして、瓦礫もまだ残っています。国の管轄地域は、自治体は手が出せないので、なかなか片づけが進まないようです。
 

 避難所になっていた球場です。ここにも津波は押し寄せました。


 津波の跡が天井や壁に残っています。
 

 以前は球場から海は見えなかったそうです。津波が松林を全て流しました。


 サーファーの方々が建てた慰霊碑です。震災直後は、階段のところまで水がきていたそうですが、徐々に徐々に砂浜が戻ってきました。
 

 この辺りは、国が入る前に瓦礫の片づけを始めていたので、比較的片づけや分別が進んでいるそうです。そして無数のテトラポットを作成しています。


 次の記事へ続きます。

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